スイス・ベーシッククエスト参加者の声より(2026年1月)
- azonezero
- 1月16日
- 読了時間: 4分
この年末年始にスイスで開催されたAZ-One Quest Center ベーシッククエスト。
参加者の一人が、1週間の探究を振り返ってこんな感想レポートを寄せてくれました。
彼女の中に特に強く残ったのは、「知覚と解釈のメカニズム」。
私たちは、世界をそのまま見ているつもりでいる。
けれど実際には、脳と、これまでの経験を通して
その場で解釈された世界を見ているだけなのかもしれない。
「トラウマ」「不安」「感情的な人」
そうした言葉は、事実そのものではなく、私の中にあるイメージにすぎない。
刺激 → インプット → アウトプット
このメカニズムを観察していくことで、今の私を動かしている欲求が、
少しずつ見えてくるように感じている。
「判断する」のではなく、
「観察する」「知っていく」という姿勢。
その中で、
自分が無意識に“問題をつくり出していた”ことや、
当たり前だと思っていた因果関係さえも、
あらためて観察できるようになった、と彼女は書いています。
とても静かで、同時にとても根源的な探究の一週間。

ベーシッククエストで、
参加者一人ひとりの内側に起きているプロセスの一端が、
このレポートから伝わってきます。
レポート全文はこちら
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ベーシック・クエスト ― 振り返り
D.、女性、34歳
2026年1月2日
私に特に強く残っているのは、
知覚と解釈のメカニズム ⊗ です。
⊗ 私たちの脳は連想をつくります。
たとえば「トラウマ」という言葉を聞いたとき。
そして、判断するのではなく、観察するという姿勢です。
いくつかの気づきの瞬間がありました。
たとえば、自分がある特定の「レンズ」を通して人生を見ているということ、
また、バナナの味を「知っているつもりでいる」ことなどです。
私は、 世界を絶対的な真実として知覚することは決してできない、
ということに、 今も少し戸惑いを感じています。
なぜなら、私に届くすべての刺激は、
脳と、これまでの経験を通して、 その場で解釈されているからです。
何かが刺激を引き起こしているように思えます。
それは身体の外側にあると私たちは仮定しますが、
その刺激に意味を与えているのは、私の内側です。
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言語という概念によって、私たちは事実を抽象化します。
そしてそれは、人に対しても同じです。
たとえば、私の母について「感情的だ」というラベルをつけること。
それは、私の中にある母のイメージであり、主観的なものです。
そのイメージが、母の全体的な真実を表すことは決してありません。
なぜなら、私の中のイメージは、
これまでに得た記憶、経験、知覚から形づくられているからです。
さらに、私たちは言語によって世界を固定します。
たとえば「私はトラウマを抱えている」と言うとき。
しかし、「トラウマ」は抽象的な言葉であり、
一つの分類、ひとつの枠にすぎません。
そしてもう一つは、
私は常に変化しているということです。
「私はある状況で不安になる。」
しかし、これも一般化です。
過去のある状況で、
直接的な危険がなかったにもかかわらず、
恐れを感じた、ということです。
→ =アウトプット。
これは問題なのでしょうか?
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他の人が私を見るとき、
それはその人自身の主観的なイメージです。
その人の経験などから形づくられたものです。
私は、その人が持っている私のイメージを見ることはできません。
刺激 → インプット → アウトプット + ループ
というメカニズムは、
今の私を動かしているものを分解して見るために、
とても役立つと感じています。
その奥には、どんな欲求があるのでしょうか。
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「観察する」「知っていく」という姿勢によって、
自分の中にいろいろなものを見つけることができました。
たとえば、「問題をつくり出す」という傾向です。
また、
「薬を飲む + 頭痛がなくなる」といった二つの状態のつながりも、
それ自体が事実とは限らず、
とても興味深く観察できるものだと感じました。
とても刺激的で、学びの多い一週間を、ありがとうございました。


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