「風が通っている」── コミュニティを深掘りするフォーラム2026 第5講「アズワン鈴鹿」&1Dayツアー
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更新日:1 日前

2026年8月8日(土)、天外伺朗さんが主宰する「コミュニティを深掘りするフォーラム2026」の第5講が、アズワン鈴鹿コミュニティで開かれました。
翌9日(日)には、希望者によるアズワン鈴鹿コミュニティのツアーが行われました。
国分寺、色川村、石見銀山といった各地のコミュニティをめぐってきたフォーラムの、4番目の訪問地としての鈴鹿です。
この日に間に合うよう、天外伺朗さん・山本達也さんと小野雅司の共著『コミュニティの進む道』(VOICE刊)も、かなり無理をして刊行してもらいました。
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## 二年間、閉じていた場から
アズワン鈴鹿コミュニティは2023年から約2年間、外部からの受け入れを止めていました。
あれだけ話すことを大事にしてきたはずのコミュニティが、急に話せなくなる。そういう時期を通ってきています。
昨年から、扉が少しずつ開き始めました。
昨年2月には天外さん達が、鈴鹿を訪問してくれました。そこから上記の本の出版の話がはじまりました。
鈴鹿カルチャーステーションは去年の8月にリニューアルオープンし、いまでは地域に開かれたスペースとして、毎日のように新しい人が訪れています。
竹林整備から生まれた鈴鹿産メンマづくりも始まりました。
## フォーラムで語られたこと

天外さんは、こう書いてくれました。
昨年2月に訪ねた時のメンバー——小野、坂井、片山、吉岡らがそろって出席し、本に書かれた時よりも一層進んだ「新生・アズワン鈴鹿」の現状を語ってくれた。
何よりも、鈴鹿カルチャーステーションが昨年2月に比べて見違えるように「場」が整い、地域住民が大勢出入りしていたのが印象的だった。
一年でここまで「場」が整うのは珍しい。「人と人が、強制なしで、共に生きる」という深遠なテーマをはじめ、多くのテーマを相当深く彫り込む対話が展開された。
懇親会は「新生・おふくろさん弁当」による豊かな料理で、とてもおいしかった——と。
このフォーラムで天外さんが投げかけてきたお題は、「社会的病理に直面せよ」というものでした。
第5講は、そのお題にアズワン鈴鹿がどう向き合っているかを、正面から扱う場になりました。
理想を掲げた試みに、やがて依存と選別が生まれていったこと。理念をていねいに言語化した結果、それを解釈する権威が生まれてしまったこと。そして、この二年間のこと。
小野だけでなく、鈴鹿カルチャーステーションやおふくろさん弁当のメンバーからも、それぞれの言葉で語られました。カオスの痛みとともに、自分はどう生きたいのか、どうありたいのかを問い直してきた——その過程が、飾らずに共有された時間でした。

アーノルド・ミンデルの『対立の炎にとどまる』の「痛みに留まり続けること」。
言葉の表層だけでなく、その人が抱えているさまざまな文脈にも耳を傾けながら話すこと。
場のホールド、エルダーシップというあり方について。深く掘り下げる時間になりました。
## 二日目、コミュニティツアー

翌9日の希望者によるツアーでは、コミュニティの成り立ちと経済の案内、里山フィールド、鈴鹿カルチャーステーションの活動、そしてコミュニティメンバーとの交流と盛りだくさんのプログラムでした。
最初に、26年間の街の中での、様々な社会実験のプロセスが紹介されました。それぞれの家やアパートに住みながら、経済を一つにする試み、理想の会社作りの試行錯誤、話し合いができるための研究と学びなど・・・。長い年月をかけて、培ってきた人間関係の大事さが浮かび上がってきました。
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午前は、2つの里山フィールドの案内。
最初に、青年達で始めた三宅の里山。耕すことは、もとからある生態系を一度リセットすること。それを避けて、2〜3年かけてゆっくり土の変化を待つ、という話がありました。
次に、15年炭窯・養蜂・キノコ栽培を営む活動を続けてきた里山では、5〜6年経って人が離れ、本当にやる人だけが残った段階で、焦点が「ことを進める」から「お互いの間柄はどうなのか」へ移っていった、という話がありました。
午後は、1年の間に大きく変貌してきた鈴鹿カルチャーステーションの紹介。出会いが出会いを呼び、縁が縁をつなぐ。面白いように人の輪ができ、つながり、新たな企画や事業が生まれる。その楽しい、豊かなエネルギーが伝わってきました。
その後は、コミュニティメンバーとの交流。赤裸々に、自分の内面の弱さや失敗例も含めて楽しそうに話す姿に、参加者の人は惹きつけられていったようでした。
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## 参加者が受け取ったもの
二日間を終えて、参加してくれた方々がそれぞれの言葉を綴ってくれています。
4年ぶりの再訪となった千葉県鴨川の小さな地球の福岡達也さんは、多くの人が現地で感じたのは「新しい風通しの良さ」だった、と書いてくれました。家族のような間柄を目指しつつ、仲の良い人だけで閉じないコミュニティ。地域に開いていくカルチャーステーション。住人を交えた対話では、自分たちに起きた困難をオープンにして笑い合える姿が見える。決して解決したわけではないけれど、肩の荷が降りている感じで、外の人とも語り合える、と。
松本朋子さんは、仲間の欠点や失敗を責めず、排除せず、けれど自分が我慢しないということを、日々真剣に考えて実践している人たちの集まりだった、と書いてくれました。その根底にあるのは「皆と共にありたい」という強い想いなのだろうか、とも。
ウェル洋光台の戸谷浩隆さんは、各地の歴史あるコミュニティをめぐってきたあとで鈴鹿に来ると、ソースとか組織形態といったことよりも、いのちの願いこそが各地の村やコミュニティを育んできた実態なのだ、という当たり前のことに気づかされる、と書いてくれました。ここにいるのは、酒飲みだったり手料理が上手だったりする普通のおじいちゃん、おばあちゃんたち。その人たちも若い頃、ヤマギシの村で年寄りたちから願いを託されてきた人たちなのだ、と。
10年にわたってアズワンに通い、山口で「スマイルマップやまぐち」という聴き合う場を育ててきた湯本なぎささんは、閉じてから今日までの変遷を、会う人ごとに聞いていったと書いてくれました。一部の人が離れていった代償や痛みはあるけれど、もう一度それぞれの生き方への問いが新たに立っている感じがして、とても嬉しかった、と。
## 「それ」を通す
そして、岡崎英二さんが残してくれた言葉があります。コミュニティで感じたことは、たった二つだったそうです。
> 「風が通ってる。」
> 「窓が開いてる。」
岡崎さんはそこから、dialogue という言葉そのものを問い直していきます。議論は「何が正しいか」を検討できる。会話は「何か」を交換できる。対話は「まだ無かったもの」が生まれ得る——よく使われるこの整理に、少し違和感がある。そもそも「dialogue=対話」は誤訳ではないか、と。
dia は「通る」。logos を「言葉」の一言に訳すのは、いつも無理がある。「理」や「意味」にも訳したくない。だから logos を「それ」くらいに置いてみる。すると、dialogue は「『それ』を通す」になる。
> 「それ」を通すには、自分と、相手と、人々と、自然と、宇宙と、場と、今と、全てと、共にあること。その共在に、共に窓を開くことで、風が通り、まだ観ぬ窓が開いて、風が変容していく。
そして、こう結ばれていました。風はいつも心地よいわけじゃない。閉めたくなる時もある。それでも開けたままにしてきた人たちがいた。澱みなく、風が抜けてゆく。新たな風が入ってくる。其処に必要な今が起きていた、と。
## おわりに
二年間、扉を閉じていた場所です。そのあいだに起きたことを、なかったことにはできません。離れていった人もいます。解決したわけでもありません。
それでも、外から訪ねてくれた方々が口を揃えて「風が通っている」と言ってくれたことを、私たちはありがたく受け取っています。開けたままにしておくこと。閉めたくなった窓を、それでも開けたままにしておくこと。この二日間で問われたのは、たぶんそういうことでした。
天外伺朗さんをはじめ、一緒に来てくれたみなさん、ありがとうございました。
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**アズワン鈴鹿コミュニティは、月に1度のOpen Dayで体験してもらえます。**








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